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誰も知らない
痛い。痛い。痛い。痛い。

観ているあいだ、ずっとそんな思いに支配されていた。せつないだとか悲しいではなくて、ただ痛い。
もちろん暖かいシーンはたくさんあったし、笑顔にもなった。湿っぽさも冷たさもない映像。それでも痛くて痛くてたまらなくさせられた。

冒頭、現実に起こった出来事をモチーフにしていることが告げられて映画は始まった。
1988年「子ども置き去り事件」と呼ばれている事件らしい。その詳細については全く知らなかった。
母親と暮らす4人の子どもたち。彼らの父親はばらばらのようだ。母親は一日中外で働き、子どもたちは長男の明を除いて、そのアパートに住んでいないことになっているため、外にもベランダにも出られない。生活も苦しいためか、全員学校に行っていない。
そんな生活のある日に母親は家を出たきり帰らなくなる。置き去りにされた子どもたちは自分たちだけで、誰にも知られずに生活を続けることを選ぶ。

雰囲気がとても自然で現実味がありすぎるだけに、心にくるものが重過ぎる。子どもたちの表情や行動やセリフの1つ1つ、それの写し撮り方の1つ1つはとても淡々としているのに、そこにある現実感はぶれずにずっとある。ドキュメントにも近い作りだ。

母親が帰ってこないことを確信して以降が、ほんとうに痛い。
特に長男の明の描写。仲良しのコンビニ店員にお年玉袋の名前書きをしてもらってお母さんからだと言うウソをついて3人に渡し、公園に落ちていたゴムボールで野球の真似事をして遊ぶ。校門にしがみついて友達を待つ姿やついに子どもたち全員で外出することを決め全員の靴を玄関に揃えたときの笑顔が印象的だった。

いじめられていた中学生さきが、とても重要な存在だと思えた。映画の終盤、4人と行動をともにすることになる唯一の他者は、血のつながりもなにもない少女だった。

カップラーメンの空き箱で植物を育てる様子や、母親への信頼をいつまでも忘れない子どもたちの心情、偶然から野球チームに参加することになったときの明の笑顔。繊細で静謐なカメラワークや視点の切り替えも含めて、あまりにも真摯で暖かい、おそらく監督の想いと熱意から出てきた表現が、痛みとともに強く心に残った。

これはメッセージや主張の込められた映画じゃない。多くの人に多くのことを考えるきっかけを与えるものだ。

きっとそこから生まれる観客のささいな行動の変化は、少しだけこの世界の位相を変える力を持っている。
by kngordinaries | 2005-03-21 16:56 | 映画、ドラマ


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