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コンフィダント・絆 070513
ここ数年、なんとなーく漠然と、なにか演劇を観に行きたいものだなと思ってはいたのだけど、ずっと行動には移さずにいた。
ほとんど知識もないもので、なにか観たいとは言いつつも具体的にこれといったものはなく、わりと忙しい日々の中でそんな気持ちを忘れていることもしばしばであったし、たまに観たいと思う舞台の情報を知ってもそれはすでに公演後だったり、といった具合にタイミングを逃し続けていた。

ついにこの「コンフィダント・絆」を観ることになってから、それは楽しみにしていたのだけど、公演までのあいだになんとなく思い返していたら、なんで演劇を観に行って観たいと思い始めたのかを思い出した。
もう10年近く前のNHKのお正月特番にて、「笑の大学」と「巌流島」という2つの三谷幸喜作の演劇が地上波で放送され、高校生の僕はそれをVHSに録って繰り返し観たのだった。どちらも素晴らしいコメディだったけれど、特にたった2人の役者が場面展開もなしでたっぷり2時間絶妙な間で掛け合い、長ゼリフを発し、最後には深い深い感動とそれに負けない笑いが溢れるという「笑の大学」の奇跡のような光景は強烈だった。
こんな作品を生で目の前で観られたら、とそのとき思ったのだと思う。

そんなこんなではるばる大阪まで、近鉄特急に乗り込みプチ旅行気分で行ってまいりました。

※この先、公演中の舞台について、少々ネタバレを含む感想があります。ご注意ください。




大阪城公園のすぐ近くにある劇場シアターBRAVA!は2000人は入る大きな劇場だった。

少し早く到着したため、公園を散策。天気が良すぎて暑いくらいだ。
開場直前にもどると劇場前に人だかりができていて、その客層の広さに驚く。映画「有頂天ホテル」のときも客層の幅広さに驚いたものだけど、演劇ということで少し高めの年齢層が多めだったようでもあり。

入場にて他公演や関連商品のフライヤーをわんさかいただけるのは音楽ライブと変わらない。違うのはチケットを確認する人が、きっちり制服を着ていることくらいだ。
グッズ売り場やバーをキョロキョロとチェック。ずらっと並んだ激励の花束の贈り主を確認するのも面白い。

席に着いてみる。1階席の最後部だったのだけど、予想していたよりはステージに近い印象で、開演時間が近づくにつれて、落ち着いていられなくなっていく。

はたして開演前の注意点のアナウンスがあって、しばらくして、いつのまにかといった感じでついに舞台が始まった。

ステージの左手隅に光が当たり、年老いた酒場の歌い手の女の語りで物語は始まる。すぐ隣で弾かれているピアノに合わせて女が歌う部分もあり、なんだか異国的で寓話的な雰囲気が高まって、一気に物語の世界の中に自然と引き込まれていく。
そして暗転、女がくるりと回り中央のセットに入り込むと、物語の中の時代と場所は変わり、女の昔話の中のまだ駆け出しの画家達が集るパリの安アトリエが出現する。

人がよく陽気なシュフネッケル、紳士で洒脱なスーラ、気取ったゴーギャン、そして厄介な気分屋ゴッホ、と4人4様のキャラクタが次々に舞台に登場する。そして語り手でもある絵のモデルとしてアトリエにやってくるルイーズも加えた5人のみがこの舞台の出演者だ。

前半からテンポよく畳みかけるような笑いに溢れた展開が見事だった。それは同時に4人の画家それぞれの抱える悩みや葛藤や情熱を浮き彫りにしていく過程でもある。
点描という技法を編み出しすでに成功を手にし始めているスーラ、いまだに1つも作品の買い手がつかないゴッホ、自分の才能の限界をなんとなく悟ってしまっているゴーギャン、そしてそんな3人の仲を取り持ちこのアトリエに夢を託しているシュフネッケル。

ルイーズという人間的にも絵のモデルとしても魅力に溢れた女性と彼らとの関係も大きなポイントとなりながら、彼らの芸術家としてのプライドや情熱や才能や生き方という気高い精神と、それに伴う妬みや蔑みや僻みややっかみといったドロドロとした感情が、絡み合いぶつかり合い物語は転がっていく。

アトリエでの共同生活の中でのエピソードが取り上げられながら、1つのエピソードが終わるごとに一人の画家がスポットを浴び、その画家のその後の人生がモノローグ的に語られる構成。
それがこの作品が、寓話的なディテイルでもって大きな普遍的なテーマとメッセージを持つものであることを暗に感じさせているように思った。

まだまだ本当の展開はここから、というところで休憩。客電が点き観客も席を立つ。
音楽ライブや映画ではあり得ないことだし、世界に入り込んでいた身としてはなんとなく惚けた感じになってしまう。ホールを出ると、バーカウンターが賑わっていた。なるほど、ああして優雅に過ごす時間なのかこれは。

そしてまだ客電が点いた状態なので、ぼんやりしていると、いきなり沸く歓声。
急いで舞台を見やるとピアノ奏者がすでにスタンバイし、そのとなりにずんぐりとした風貌の男がアコーディオンを持って立っている。三谷幸喜だった。
そして会場が拍手に包まれる中、六甲おろしを一節演奏し、ひとしきり笑いを起こしたあと、ピアノとともにこの舞台の世界観にあった演奏を披露。そしてステージで立ち位置でスタンバッているスーラこと中井貴一に
「せっかく来たからさ」
「ホテルどこ?」
など話かけるが無言で軽く首を横に振る中井に満足した様子でステージを去っていった。

後半はもう怒涛の展開だった。
芸術家たちの友情の崩壊と、それぞれの本音の吐露。また絵画を愛する者と一人の芸術家としての思いが各々の中でせめぎ合い、スーラは咆哮し、ゴーギャンは苦悩し、ゴッホは落胆し、そしてシュフネッケルはぐしゃぐしゃに困惑する。

それぞれの役者陣の熱演はほんとうに素晴らしいの一言だった。
その中でも中井貴一演じるスーラのシリアスな熱演とコミカルな演技とのギャップは見事で、後半の彼の人間味溢れるアイロニカルな言動は、どこまでも悲しく狂おしく映った。
そして相島一之演じるシュフネッケルは、とにかく結末のシーンにつきると思う。才気ほとばしる芸術家3人に比べ、画家としての才能がなくその事実に気付きもしないシュフネッケルは、とても人が好い善良な男だ。つまり、観客と変わらない普通の人の代弁者とも言える存在だ。彼が天才3人の別離の真ん中に立ち、その結末のシーンで見せた一つ一つの仕草や言葉の全ては、あまりにもリアルでどこまでも深遠な衝撃を観客に与えるものになっていたと思う。目が離せなかった。なんと言っていいか分からないけれど熱い熱い感情が溢れた。

最後に、アトリエに残された1枚の絵とシュフネッケルの最後の1セリフは、この寓話をあまりにも綺麗に美しくまとめて、物語をきっちりとあっさりと仕舞い込んでしまう。
その深い感銘を残すラストに感動しつつも、重い終わりだな、と思っているところにエンドロール的に登場するのは、このアトリエを4人で借りることが決まったときの彼らの仲のいい姿だった。爽やかな笑いを届けながら、少しずつ暗転していくステージ。
この心憎い演出は、どこまでも観客を置いていかない三谷幸喜のエンタテイナー魂の成せる技だと思う。これだから素晴らしい。

幕が下りだしたところで会場はほぼ総立ちでスタンディングオベーションの嵐に包まれる。もの凄い熱気が渦巻く。それはもちろんこの作品によって、観客にもたらされた熱だ。
役者5人がその鳴り止まない拍手に何回も何回もステージに登場してはその声に答えてくれた。カーテンコールというものはこういうものなのだということはなんとなく知っていたけれど、実際拍手に答えて役者たちがステージに戻ってきてくれる光景は、想像以上に嬉しいものだった。

あれだけのものを見せてくれた演者にはどれだけの賞賛を与えてもたりない、そう会場のほとんどの人が思っていたことだろう。


この日以降、過去の三谷幸喜のパルコプロデュースの舞台作品のDVD一覧を見ながらどれを購入しようかと全部欲しいと悩む毎日が続いています。
というか今年中にまたなにか観に行きたい、というか行くしかないと思ってます。
by kngordinaries | 2007-05-20 02:18 | 演劇


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