カテゴリ:映画、ドラマ( 44 )
SiCKO
ビョーキなアメリカにメスを入れる、
世直しリアル・エンターテインメント。


マイケル・ムーアの作品は社会的なテーマを扱いながら極論的だし、ドキュメントというにはエンタテインメント色が強い。
そこが個人的にはとてもしっくりくる気がする。
作り手の熱や主張がはっきりしていたほうが自分が考える材料になりやすいし、何より小難しくなくて分かりやすい。

アメリカの医療制度に焦点を当てた今回の作品も、今そこにある医療業界の現実を、客観的データと中立的視点で描写するのではなく、ムーア自身の正義と愛国心に基づく主観的視点とその考えを補完する物証や一般の人々の生の言葉を材料に強い主張が行われている。

でも、それがいいんだと思う。
一人の人間の熱い主張がある作品には必ず哲学がみえる。それと自分の考えを照らし合わせて物事を思索することが、きっと有意義なことだと思うのだ。というか、極端な話それがない作品には僕はそれをどう観ていいのかも分からなくなる。
情報の客観的な羅列は、新聞やニュースの一コーナーならそれが役割なのだろうけれど、映画館の劇場で観るものとして、お金を出して観るものとして、やっぱりこのくらいはかましてほしい。

医療制度は、その国の人々の日々の生活に密接に影響する、とてつもなく重要なものだ。それが利益追求の市場原理で行われていいのか、ということが結局言いたいところで、それをムーアはアメリカ人としての誇りというものと直結して論じ諭し啓蒙する。

このファットなアメリカ人の作品が好きなのはその点も大きい。
つまり、この人はもの凄く情に熱く、自分の国とそこに住む(特に貧困層の)人々を溺愛していて、攻撃的な主張とは裏腹に最終的な着地地点は真っ当で保守的で徹底して弱者の味方なわけで、そこがいいのだと思う。
といっても、今回の作品はそのテーマが観客にとってこれ以上なく身近なものであることもあってか、必要以上の企画性や娯楽性はなく、以前の作品ほど過激な試みもない。 というか、後半での刑務所へのアポなし取材シーンを覗けば、ほぼない。いやあのシーンはなくても十分成立しているのでは・・・。

まあ、そんな手法についてのいろいろはありつつ、華氏911にも増して、笑えて泣ける、悲しくてやるせなくて暖かくて優しい、現実の問題としての圧倒的な重みがある、まさにキャッチコピーどおりの「世直しリアル・エンターテインメント」でした。
この映画は「アメリカの医療制度」についての映画ではあるけれど、そこから得られる教訓や観点はそれに限定されたものでなく、とても広く大きいものだと思います。今の世の中へなんらかの危機意識を持つ人には、ぜひぜひおすすめの作品です。
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by kngordinaries | 2007-09-10 02:08 | 映画、ドラマ
夕凪の街 桜の国
このお話はまだ終わりません。

物語が持つ力、というものに改めて驚かされるともに、その力によって新たな風景を見ることができたことに、感謝したいと思った。

原爆という深く重いテーマをこんな描き方をした作品を他に知らない。
こんなにも普通の人たちを、しかもメインの主人公に現代を生きる20代女性を配して、美しい街並みや微笑ましい恋や暖かい家族を描きながら、強く強く原爆というとてつもなく残酷で陰惨な現実とそれが今現在も連綿と続いているというリアルな実感を感じさせるとは。

正直なところ、僕にとって原爆とは対岸の火事だった。無関心であったかもしれない。
いやほんとにぶっちゃけてしまえば、なんとなくあまり関わりたくなかったし、ある程度学校やテレビで嫌でも目に入るもの以外まで知りたいとは思わなかった。
とにかく陰惨で残酷でそして歴史上の出来事という印象だった。
そしてそんな自分に対する罪悪感もなんとなくあり、それがまたうっとうしかったのだ。とても嫌な奴だ。

でも、たった62年前なのだった。
当たり前の話、全然このあいだのことなんだった。
実家に帰ればいまだに元気に土をいじっているうちの祖父はそのころから全然生きていたのだ。彼が若かったころの話なんて、もの凄く身近で、脈打つようにリアルで、当然のごとくその深い傷跡が完治しているなんてことはありえず、いまもまだその物語にエンドロールは出ていないし、当分出ないんだ。
当たり前だろう。とんでもなく深い傷なんだから、死ぬまで、つまりこの国が終わったり、この世界が変わったり、途方もなく長い時が流れたり、そんなことになるまで消えないし消せないのだ。
ただそれだけの事実を認識することが、いままでなんでできなかったんだろう、と思ってしまう。
「どこかで、お前の住む世界はそっちじゃないとういう声がする・・・・・・。うちは、この世におってもええんじゃろうか?」
「うちは幸せになったらいけんような気がして」
「嬉しい?十三年も経ったけど、原爆を落とした人は私を見て『やった!また一人殺せた!』ってちゃんと思うてくれとる?」

「・・・・・・母さんが三十八で死んだのが、原爆のせいかどうか誰も教えてはくれなかったよ。おばあちゃんが八十で死んだ時は原爆のせいでなんて言う人はもういなかったよ。なのに凪生もわたしもいつ原爆のせいで死んでもおかしくない人間とか決めつけられたりしてんだろうか」
「そして確かにこのふたりを選んで生まれてこようと決めたのだ」

「今年は父さんのいちばんあとまで生きてた姉ちゃんの五十回忌でな。それで姉ちゃんの知り合いに会って昔話を聞かせて貰ってたんだよ。七波はその姉ちゃんに似ている気がするよ。お前がしあわせになんなきゃ姉ちゃんが泣くよ」

この映画を観に行く予定がたってから、これまでもちょくちょく読み返していた原作をまた何度か読み返しなおした。そして映画を観た。
一つ一つの言葉に込められた想いが、時代的背景が、根深い傷跡が、原作を読んだときにもなんとなく感じられていたことが、やっと身が切り裂かれるほどリアルな情感を伴って襲ってきた。とことん鈍いな。

名演小劇場という定員が100人にも満たなそうな、立派なホームシアターに負けそうな大きさのスクリーンの劇場で観たのだけど、やはり周りには40代以上の方々が目立った。
この映画を若い人がどのように感じるか、というところに興味があったので、シネコンのスクリーンで観ればよかったかな、と観賞直前には思ったけれど、そうでもなかった。

鑑賞中、本当に何気ない昭和33年の生活を描いたシーンで、どちらかというとコミカルですらある現代の七波の父親のしぐさ一つにも、場内のすすり泣きは上映中ほぼ止まなかった。
戦後を生きる人々の心にずっしりと残る罪悪感にも似た重く暗い感情、60年以上の月日が流れても強く熱い廃れない想いと願い、その世代の誰もが生々しくあるのだ。ずーっとそこにあったし、片時も忘れられなかったんだ、いやでも。
その時代を思い出すだけで、深い傷を背負いながら笑顔とささやかな未来への希望を持って生きる皆実のしぐさ一つを観るだけで、これだけ感情があふれ出してしまうということ。
そんなことが手に取るように分かった。

この作品は目も耳も塞がない。心も閉ざさない。
どれだけ無関心を装っていたアホ(僕)に対しても、優しく分かりやすくとてもリアルな実感を持って、そのメッセージを伝えてくれる。

そんなこの作品に、感謝したい。

関連記事:夕凪の街 桜の国  こうの史代




このお話はまだ終わりません。

何度夕凪が終わっても
終わっていません。

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by kngordinaries | 2007-08-18 21:09 | 映画、ドラマ
大日本人
観ました。松本人志の初監督作品。

どっぷり「ごっつ」世代である自分にとっては、いやそれだけでなくこの国に住む全ての人にとっても、というか彼の日本での功績を前情報として耳にした全世界の人たちも、誰もが何らかのかたちで批評的なスタンスで向かい合ってしまうさだめにある今作。
面白いかどうかは全くの未知数であっても、どうしても観ずにはいられない、という人が劇場に足を運ぶだろうところ、公開直後であるいまのところかなりのヒットになっているもよう。もちろんこれは松本人志のこれまでの信頼がどれだけのものだったかということの証明にはなっても、この作品の評価とはあまり関係がないだろうと思う。

で、観た。そんな付加情報の全てを忘れ(るよう心がけ)て観ました。

文句なし。
観終わった瞬間、思わずスタンディングオベーションでした。心の中で。

最初のインタビューのシーンから投石、そしてタイトルバックと音楽。ここまでで静かながらとりあえず先を追いかけたくなるし、グッとスクリーンに引き込む力がある。
そこからはじわじわと「大日本人」の謎めいた正体へゆっくりと情報が小出しにされながらいくつかのテーマが表出していく。
この構成の妙。はっきりと笑いに振れてはいない悲しみとおかしみと切なさがないまぜになったような、VISUALBUMともそれ以前の松本作品とも共通する彼独特な感覚が、大スクリーンでより繊細により大胆に描かれていく。なんだか嬉しくなる。

松本人志が無数に産み出してきた独創的なコントは、どれもこれもそこいらの映画より面白かったけれど、果たしてそれが2時間という長尺の中で、その独創性や世界観、風合いをそのままの濃度で保ち、そのままの破壊力で見せられるのかどうか。
というのが一つ大きな関心ポイントではあったのだけど、もう観ているうちにその杞憂は消し飛んだ。

まー面白いこと面白いこと。
ただ単に笑いが満載というわけではなく、奇抜でトンデる設定や、気持ち悪いデザイン、何かが決定的にズレている違和感、といった松本コントの基本理念が、どれも出色のアイデアと演出と映像で迫ってくる。

前半の謎に包まれた主人公のオフビートなインタビューシーンも、板尾の獣とのついに炸裂する「ごっつ」な笑いも(最高)、容赦なく映し出される大日本人というヒーローの悲しさも、戦闘シーンの安さも、そしてラストの妙に鋭い社会的風刺の効いたくだらなくも会心の展開も。
いやー満足。やっぱり松っちゃんは映像作品での作りこんだ笑いもやり続けなきゃいけない。それが映画でもそれ以外でも関係ない、とにかく素晴らしい作品であってくれればそれでいい、と心から思った。

つまり、これまでの松本作品と決定的に違うことは何もなかった、ということでもある。
松本人志は芸人のままテレビタレントのままコメディアンのまま、笑いにこだわったスタンスそのままに映画を撮った。こんなに嬉しいことはないし、こんなに楽しい映画はない。
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by kngordinaries | 2007-06-15 01:34 | 映画、ドラマ
ライアーゲーム
一億円もらえるなら、
どんな嘘だってつけるでしょ。

大金がかかった命懸けのギャンブル。一見シンプルなルールの裏に隠された抜け道や必勝法。プレイヤーの優劣が一瞬にしてひっくり返る大どんでん返し。

ツボです。ドツボです。こういう要素をふんだんに散りばめられたら、もう抗えない。
なんとなーくそんな感じのドラマなのだろうと思い、初回を観た段階ではまだ、なかなか面白いなー、というくらいだったのだけど、二話の後半からの第2回戦が始まったあたりからはもう怒涛の面白さ。
閉鎖した空間で、一見シンプルなルールのゲームが行われて、多数のプレイヤーが参加していて、多額のお金やそれぞれの事情が絡んでいて、時が経つにつれてゲームが持つ表情がコロコロ変わり、ゲーム開始当初には想像しえなかった結末へ行き着き、それが人間ドラマとしてもちゃんと機能している。
そういう作りに弱いのです。

というか、そういう要素が全部入らないとこういう作品は面白くないわけで。
緻密なゲーム性だけでは疲れるし、マネーの奪い合いだけでは辟易するし、とにかく意外な結末だけでは2時間サスペンスだし。
そうなってしまうからか、実際にこういう作品が量産されることはなく、たまにこうして出会えると非常に嬉しいわけです。

これに近い系統では、最近だとDEATH NOTEという大ヒット作があり、こちらは多分にファンタジー要素が強いところが大きく異なり、また少々ルールやトリックが難解すぎる部分があったけれど、今作は現実的な設定で、トリックも至って分かりやすくネタばらし以前に答えが分かることも少なくない。その辺のバランスも置いてけぼりにされずちょうどいい。
マトリックス的な映像表現での図説も分かりやすいし。中田ヤスタカの音楽も刺激的で盛り上がる。

こうなってくると原作の漫画の方も気になるところだけれど、この先の展開がネタバレてしまうのを避けたくて、とりあえずこのドラマ版が終了するまでは観ないつもりでいる。どこかで聞いた話では、今ライアーゲーム2回戦のあとの敗者復活戦をやっているけれど、そのあとの3回戦はまだ漫画版も連載中で、ドラマ版の結末はそちらとは違うものが用意されるらしい。
ドラマ版が無事終了したところで漫画版もガッツリ大人買いしてしまおう。そちらも楽しみ。
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by kngordinaries | 2007-05-30 00:03 | 映画、ドラマ
12人の優しい日本人
10年以上も前に観たときの記憶が随分と鮮烈で、いつかもう一度観たいと思っていた作品だった。

確か、テレビで深夜に放送されていたのだと思う。
この作品に対して何の前知識もなかったけれど、今にもスイッチを消して寝ようかと思っていたところだったのだけど、結局眠い目をこすりこすり最後まで観てしまった。
「古畑任三郎」とどちらが先に出会っていたかはよく覚えていないけれど、この両作品が三谷幸喜という劇作家に興味を抱く要因になったことは間違いない。

もしも日本に陪審員制度があったら、という未来を予見するような公開当時としては架空の設定で繰り広げられる、12人の陪審員によるとある事件の判決を下すための討論の一部始終。それをそのまま舞台演劇にした戯曲の映画化作品。
三谷幸喜お得意のワンシチュエーションでほぼリアルタイム進行のスピーディーかつ予測不可能なスリルは、とても心地よく一気に見せる。登場人物全員に必ずドラマがあり、必ずスポットを浴びるシーンがある、という彼の作品らしさが分かりやすく出ている作品だと思う。

僕は映画を観るというのは結構エネルギーのいることだと思っていて、そんなに何回も同じ映画を観かえすことはまずない。
だから、10年ぶりに観返すこの作品から何を感じるかはちょっと楽しみなことだった。もしかしたら全然面白く感じなかったりするのでは、とか。

はたしてそれは、ちょっと驚きの結果が出た。
面白い。それは間違いない。息もつかせぬ展開。細やかな人物描写と、そこはかとなかったり、ベタだったり、滲み出たり、さまざまな形で作品から溢れ出すユーモアとペーソス。
それは10年前と変わらない、変わらず面白い。

だけど、それ共に感じたのは、人が人を裁くこととその過程、それらの光景の裏側からゆらゆらとたちあがってくる大いなる疑問符。
コメディであるがゆえの多少の誇張はあろうけれど、この12人はリアルな今の社会の縮図といえる。全く相容れない価値観を持ち、長いものに巻かれやすかったり、ひねくれてみたり、ぶち壊したくなったり、自分本位だったり、思考停止したり、論理を優先したり、温情だけで物事を判断したり、ごちゃごちゃに捻じれ交わり絡まりながら、すれ違いながら、何とかその妥協点、落としどころを探っていく、その様。
日本人特有のコミュニケーションのかたち、民主主義的な討論による決定、そんなテーマも見え隠れする。

つくづく三谷幸喜は巨大な才能だと思う。複雑な人間模様をこれだけすっきりと分かりやすく、かつ面白く、深い洞察を持って描ける人を他に知らない。
それでいて、法廷劇としての手に汗握るサスペンスや最後のミステリ的大オチと人情劇的大オチを畳み掛けるカタルシスも巧妙な伏線を配して大いに魅せてくれるわけだ。
文句のつけようがない。

深みのある極上の喜劇。またきっと10年後に観たくなりそうな作品だ。


近々、初めて三谷幸喜の舞台を観に行く予定なのだけど、この作品を観返して、一層期待が高まりました。
「コンフィダント・絆」、楽しみだ。
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by kngordinaries | 2007-05-08 02:35 | 映画、ドラマ
マルコムX
観ている間、なんだかはっきりとしない胸の奥がざわざわとする感覚にとらわれ続けた。

ほとんど何の予備知識も持たずに観たことがその一因かもしれない。
分かっていたことは、実在した黒人開放運動家マルコムXの生涯を描いた伝記的な映画だということだけ。恥ずかしながら今作を観るまで、そのマルコムXがどんな役割を果たしてきた人物かも、ほぼ知らなかった。

舞台は第2次世界大戦中のアメリカ。
まずは幼少期のマルコムの黒人差別の原体験である父親の死や、人生の節目節目に出会う絶対的な差別の数々、そして青年となったマルコムが、縮れ毛を伸ばし洒落たスーツを着込み、まるで白人のように振るまいながらドラッグや盗みなどの悪事に手を染めていくまでが描かれる。
ここでのマルコムは至って明るく逞しく描かれているけれど、その置かれた境遇や彼自身の心に巣食うどうしようもない闇が見え隠れする。

そして逮捕され、数々の罪で実刑10年の判決を受け刑務所に入れられたマルコムは、同じ受刑者のベインズからネーション・オブ・イスラムの教えを説かれる。
黒人の経済的自立を目指す社会運動であるネーション・オブ・イスラムとの出会いが彼のそれまでの人生やその中での苦しみや悩みの全てをクリアにし、解き放つ救いのようなものであったことは想像に難くない。

そこからはもう怒涛の展開だ。
彼の熱く過激で攻撃的な演説は、多くの黒人の賛同を勝ち取り、ネーション・オブ・イスラムという組織は巨大化していく。
この一つ一つの演説や、警察に理不尽な扱いを受けた同志を助け出すエピソードは、おそらく事実どおりの描写なのだろうけれど、マルコムを演じるデンゼル・ワシントンの凄みのある演技が素晴らしかった。

彼の人生を頭ごなしに否定することは誰にもできないと思う。
マルコムXの人生を辿れば、彼の受けた圧倒的な不遇は明白だし、彼の思想がそこに行き着くことも不自然なことだとは思えない。もちろんそういった社会構造に見てみぬふりをして彼が人生を終えることも可能だったろうけれど、民主主義が生まれ多くの戦争が起こり超大国となっていくアメリカのなかで、彼のような人物が登場しないことのほうが不自然ではないかと思う。
時代的必然であったある種のヒーローであり、悲劇の主人公なんだと思う。

もちろんそれと同時に、彼の発言や活動をまっすぐに支持することだってできない。
黒人至上主義的な教えは、歴史的背景から心情的理解はできても肯定は難しいし、彼の実際に行ってきた活動自体は非暴力非権力なものだったとしても、その舌鋒から飛び出た過激な言葉が多くの人たちに良からぬ影響を与えるものであることも明白だからだ。

そして、なにより象徴的で衝撃的なのは、彼の最期だった。
ネーション・オブ・イスラムから追放され、イスラム教に回帰した彼は新たな考えのもと新たな組織を作り、柔軟な考えのもと活動を再開する。しかしネーション・オブ・イスラムから暗殺を企てられ、何度か命拾いをするものの、ついに彼は彼の賛同者たちの目前でのスピーチの最中、何発もの銃弾に撃たれ命を落とす。

よくできた寓話のようだ。信じられない、救いのない話だ。
彼の命を落とした銃弾を撃ったのは、彼が人生を捧げてきた救済活動の対象者である黒人だった。それを指示したのもきっと同じ肌の色の人間だろう。
とんでもない悪夢。そこで憎しみあう必然なんて、なかっただろうに。

映画のラストに、マルコムXとはまた別の活動方針を持って同時代に闘ったキング牧師がマルコムの死に対して語った言葉が登場する。

「この国の人間は考えの相違を暴力的でない方法で解決することを知らないのか」

この40年も前に発せられた言葉が、今の世界の現状にざっくりと刺さる言葉となってしまっていることが、どうしようもなく滑稽に思えるのは僕だけだろうか。
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by kngordinaries | 2007-05-01 16:13 | 映画、ドラマ
エターナル・サンシャイン
ファンタジーの醍醐味は、その現実離れした設定の中にどれだけこの世界の真実をひっそり忍ばせて観客の夢見心地に浸って緩んだガードの上から容赦なくストレートを打ち込めるか、に尽きると思う。
あまりに鮮やかすぎてしばらく打たれたことに気づかないくらいがちょうどいい。

エターナルサンシャインはそんなファンタジーだからこその強いメッセージ性を持ちつつ、苦味がきつい分だけ甘さが引き立つ王道の恋愛ドラマとしての魅力もあり、さらには斬新な映像手法や表現も味わえる、多彩な魅力に溢れた作品だ。

どこかギクシャクとした偶然の出会いから、急速に引かれる男女の描写がロマンチックな導入部を終えると、ストーリーは観客を置いて急速に転がりだす。話の時系列はねじれ、現実なのか主人公の頭の中なのか、判別のつかないシーンが連続する。
そのスリリングな展開は観客に少しの緊張とほどよい興奮を与えて、作品世界に引き込んでいく。急激で波乱万丈な展開がそれでも楽しめるのはこの作品の作り手が説明と描写の分別をクリアに出来ていて、その配分の絶妙なバランスを分かっているからだと思う。脚本の伏線のひき方も、かなりの腕前。

なんとなくすれ違い始めた関係性のなか、突然彼女は彼を記憶の中から消し去る。
それを知った彼は絶望に打ちのめされて自らも彼女を記憶から消し去ろうと決める。

このある特定の人物に関する記憶を消去できる、というのがこの物語のファンタジーな部分なのだけど、今まさに、自分にとって大切な存在の記憶が削除されていく、脳内での彼の悲しみと絶望はものすごくリアルに心に迫る。
それは誰しもが持っている別離や忘却の記憶が重なり、そこに刻まれた傷を疼かせ、その究極である、いつか訪れる死を想起させるからだと思う。とまで言うのはちょっとおおげさか。もっと日常にありふれた、些細で無数にある、でもその度にどこかに傷が残る、そんなロストの記憶だ。

そしてスラップスティックなユーモアを織り交ぜた彼の記憶消去への反抗と奮闘は風変わりな映像の演出に目を奪われながらも、意外とそこいらのアクション映画よりも手に汗握ってしまう。
それは日々の中にある無数の別離や忘却に、疲弊して脱力しながらも、生活している、そんなこの現実の世界を突き詰めて結晶化した世界で主人公が自分と同じように戦っている、となんとなく感じられるからなんだろう。

一人の男の心もようがぐるぐるしているだけと言ってもいいシンプルなお話をファンタジーに包んで、コメディとしてもアクションとしてもサスペンスとしてもラブロマンスとしても、抜群に面白く作りこんだ作り手の手腕はほんとに凄いと思う。


ラストに交わされる2人の静かな会話とその最後のシンプルな一つの台詞を言う主人公の表情に、この映画の表題がエターナル・サンシャインであることの必然が確かに感じられた。

そのリアルでやわで小さな前進とそこに確かにある小さな希望は、会心のストレートのように観客の頬を心地よく打ち抜いていった。
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by kngordinaries | 2007-02-24 00:50 | 映画、ドラマ
木更津キャッツ・アイ ワールドシリーズ
言いたくねぇけど、ばいばい。

3年ぶりの木更津キャッツ・アイ最新作は遂にシリーズ完結篇。
この作品の制作発表があったころから少々複雑な想いで作品の完成を待ちわびたキャッツ・ファンは多かったと思う。格言う僕もその一人ではありました。

この作品のストーリーの中心にあるのは、主人公ぶっさんの余命半年とされる人生のカウントダウンだ。人気喜劇作家の宮藤官九郎の作品の中でももっとも過激にハイテンションなコメディでありつつ、恐ろしくシリアスな作品でもある。
あんまりちゃんと覚えていないのだけど、連続ドラマの1話か2話のラスト付近、ドタバタ活劇の末、夜明けの浜辺で仲間たちとダベっていたぶっさんが拳銃の銃口をこめかみに当てて目を閉じるシーンがあった。数秒間の沈黙のあと「恐ぇえ~」と言いなが笑い出す、その感じ、それがこの作品全体に通底する感覚なんだと思う。

ネタバレあり
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by kngordinaries | 2006-12-12 01:17 | 映画、ドラマ
RIZE
踊ってるんじゃない。
闘ってるんだ。

こんな世界があるんだということを、おおまかな知識で知っているつもりではいたけれど、これっぽっちも分かってはいなかったんだとこの映画を観て分かった。
映像というものが映し出すリアルな現実や人間の本質。ショックだった。いや、まだそのショックは続いている。

RIZEはファッション・フォトグラァーのデヴィッド・ラシャペルが監督したドキュメンタリー映画で、その題材はL.Aのサウスセントラル地区でクラウンやクランプといった全く新しいダンスを踊るダンサー達だ。

映画の冒頭ではこの地区で起こったいくつもの暴動や人為的な災害の記録映像が流れ、あのキング牧師の「I have a dream」演説も登場する。
そう、L.Aのサウスセントラルは、黒人の住むゲットーと呼ばれる貧民街で、日常的に銃声が聴こえドラッグが往行するような地区であり、人種差別や経済格差といった暗く重たい現実の問題の現場だ。そこに住む若者に未来はなく、希望なんて当然ない。

クラウンダンスの創始者であるトミー・ザ・クラウンは、自らもドラッグの売人としての経歴を持ち、そうせざるを得ない環境に対する想いを抱え、たった一人でピエロを始めたという。
彼のやったことはとてもシンプルなことだった。顔におしろいを塗って、ファンキーなメイクをのせ、アフロのズラを被り、ピエロになる。そして街の子供の誕生日などのお祝いごとに出向いては、彼らを楽しませるダンスをするのだ。彼は瞬く間に地域の人気者となっていった。
映像を通しても伝わってくるけれど、どっしりとした巨体を揺らして激しく踊る彼(ピエロ)は、どんな苦境でうつむいている人も思わず吹き出すようなユニークな生き物にみえる。

そしてトミー・ザ・クラウンは大きな成功を得る。
もちろん経済的な成功もあっただろうけれど、彼が得て、そしてこの地域にもたらしたのは子供たちの未来であり希望だった。
あるピエロのメイクをした若者はインタビュー映像で、この街で生きていくとギャングになるしかない、それか、ピエロになるんだ、と言ってにっこりと笑った。胸が震えるほど素晴らしい笑顔だった。
そう、トミー・ザ・クラウンの仕事は繁盛し、多くのフォロワーを生んだのだ。

クランプダンスはクラウンダンスをより激しくより豪快に進化させたダンスだ。仲間同士でぶつかり合いつかみ合い、痙攣を起こしたような動きをする。
映画の冒頭にテロップで、この作品の中のダンスは早回しではない、という注意が促されるけれど、ほんとに目を疑うスピードだ。というか、目で追いきれない。
黒人特有のもの凄いリズム感と厳しい環境で育まれた高い身体能力ももちろんあるだろうけれど、なにより彼らの鬱積した感情を爆発させる場はここしかないんだ、というあまりにも切迫したギリギリのところでの生命の爆発としてのダンスだからこそ、この超人的な舞ができるのだと思う。

作品の中で紹介されたエピソードだけれど、なんの罪もない少女が買い物に出かけた先でギャングの闘争に偶然遭遇して銃弾に撃たれて死んでしまうようなことが起こるのだ。それでなくても親がドラッグ中毒であったり、理不尽な暴力に囲まれていたり、救いのない境遇にいる。しかもそれは世界一豊かであると言ってもいい国の中でのことなのだ。
なんの情報もなければ耐えられることもあるかもしれないけれど、彼らは知っている。すぐ近くで豊かに幸福に生きている人たちがいることを。それはどんなに苦しいことだろう。
こんな状況下でギャングになるな、ドラッグはやめろ、なんて軽々しくは言えないんじゃないだろうか。
それでも自らがギリギリで踏みとどまって、ピエロのメイクをしてダンスする映像の中の彼らの姿は、どうしようもなく輝いている。

後半、このムーブメントの一つのピークを刻むようなダンスバトル「BATTLE ZONE」が行われる。クラウンVSクランプの本気のぶつかり合いは超ハイレベルで迫力のダンスが展開されるけれど、それに熱狂する観客たちのその熱狂や興奮している様が、とても楽しそうでよかった。

彼らの闘いはいつか終わるんだろうか。
キング牧師の演説からもう40年以上の月日が流れている。きっと遠く長い道のりになるはずだ。それでも自虐的にも破滅的にもならず、踊り続ける彼らに、大げさに言えば人間の生命の力のようなものを感じた。

ピーナッツ
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by kngordinaries | 2006-09-23 23:23 | 映画、ドラマ
UDON
ここには夢なんかない。
ただ、うどんがあるだけだ・・・

これはおもしろい。今までそれなりにいろんな映画を観てきたけれど、こんな作品には出会ったことがない。

踊るシリーズの製作 亀山千広×監督 本広克行コンビの作品ということで、何はなくとも観てみようと思った今作。
踊るシリーズも、警察を舞台にしたドラマの概念や、興行の中でのドラマと映画の関係性、組織論を思想の軸にしたストーリー等々、既存の作品とは毛色の違う新鮮な作品だったけれど、どうやらこのコンビはそういう枠をはみ出すことが好きか、あるいは枠があるとは思っていない人たちのようだ。

まず一番驚いたのは、半分近くがドキュメンタリーといっていい作りであること。実際のうどん屋、製麺所で撮影しているだけでなく、そこのお店の人たちも明らかに本人。人懐っこかったり、つっけんどんだったり、リアルな日常そのものだ。そこを取材してまわる記者、という役どころのユースケ・サンタマリア、トータス松本も9割9分に素だろうアドリブ合戦。
そこにやってくるビニール袋でうどんを食す人たちや、持参した野菜を天ぷらにしてくれという人のエピソードもいかにも実際あったっぽいし、実話をもとにしたドキュメンタリードラマのような感触がおもしろい。

現実にあった数年前のうどんブームというものの成り立ちから、その華やかな祭りとその後を冷静でシンプルな筆致で描写している中盤が、迫力があった。
情報が熱を生んで大きなうねりとなって、人が動き、そしていろいろなひずみも生み、やがて何事もなかったかのように平穏が訪れるけれど、確かにそれはいろんなところにいろんな爪あとを残している。そんな当然で本当のことをあくまでフィクションでありながら、恐ろしいほど皮膚感覚で観る側に伝えてくる。

とそんな大きなテーマを持った話かと思いきや、後半の物語は少々ベタな家族という小さな、でもとても難しいテーマにぐっとフォーカスしていく。
ドキュメントと日本全土をにぎわすブームに焦点があたっていた前半・中盤からだと少し強引な流れのように感じるけれど、それが終盤にいたって、なんとなく全てのピースが重なっていき、一つ二つ結論めいたものが示されるわけだけど、このジェットコースターのような展開は予想できなかったし、とても新鮮だった。

ユースケ・サンタマリア演じる香助はたびたび現実のような夢を見たり、夢のような現実を起こしたりするし、ユースケ&トータスがもう完全に演じてないだろ、とツッコミたくなる状態でバンザイを歌ったりするし、さらにはキャプテンUDONというもともとは少年時代の香助の創造したヒーローがど迫力のCGアニメになって展開したりして、映画全体としての現実と虚構との距離の取り方が一定ではなくとても奇妙な気分を味わわせてくれる。
重層的なメタ構造の小説を読んでいるときのような、付いていくのに一苦労というある意味ハイレベルな試され感が楽しい。

そういった少々難しい構成等の魅力に加えて、編集部の個性的な面々やタクシー運転手のシーンはさすがにコント出身の監督だけあって極上のコメディになっているし、庶民的で叙情的でちょっとファンタジックな家族のドラマはとても王道を行っていて泣かせてくれる。

時代というものも社会というものも個人や家族というものも、それぞれのテーマを全部捨てずに内包して、いろんな新しい価値観もちゃんと見せ、それぞれのいいところも悪いところも変に偏らず淡々と映し出し、最終的にはちょっと保守的だけれど大多数の人が賛同できる結論に帰結する、という流れは踊るシリーズにも通じるものがあったと思う。

あと、とにかくうどんがとてつもなく美味しそうに撮られていることが、この映画の肝であることも間違いない。そうでなきゃこの話は途端に嘘っぽくなってしまっていただろう。

あと、個人的には要潤と片桐仁のシーンの天丼(お笑い用語のほう)が最高にツボでした。
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by kngordinaries | 2006-09-17 22:31 | 映画、ドラマ