夕凪の街 桜の国
このお話はまだ終わりません。

物語が持つ力、というものに改めて驚かされるともに、その力によって新たな風景を見ることができたことに、感謝したいと思った。

原爆という深く重いテーマをこんな描き方をした作品を他に知らない。
こんなにも普通の人たちを、しかもメインの主人公に現代を生きる20代女性を配して、美しい街並みや微笑ましい恋や暖かい家族を描きながら、強く強く原爆というとてつもなく残酷で陰惨な現実とそれが今現在も連綿と続いているというリアルな実感を感じさせるとは。

正直なところ、僕にとって原爆とは対岸の火事だった。無関心であったかもしれない。
いやほんとにぶっちゃけてしまえば、なんとなくあまり関わりたくなかったし、ある程度学校やテレビで嫌でも目に入るもの以外まで知りたいとは思わなかった。
とにかく陰惨で残酷でそして歴史上の出来事という印象だった。
そしてそんな自分に対する罪悪感もなんとなくあり、それがまたうっとうしかったのだ。とても嫌な奴だ。

でも、たった62年前なのだった。
当たり前の話、全然このあいだのことなんだった。
実家に帰ればいまだに元気に土をいじっているうちの祖父はそのころから全然生きていたのだ。彼が若かったころの話なんて、もの凄く身近で、脈打つようにリアルで、当然のごとくその深い傷跡が完治しているなんてことはありえず、いまもまだその物語にエンドロールは出ていないし、当分出ないんだ。
当たり前だろう。とんでもなく深い傷なんだから、死ぬまで、つまりこの国が終わったり、この世界が変わったり、途方もなく長い時が流れたり、そんなことになるまで消えないし消せないのだ。
ただそれだけの事実を認識することが、いままでなんでできなかったんだろう、と思ってしまう。
「どこかで、お前の住む世界はそっちじゃないとういう声がする・・・・・・。うちは、この世におってもええんじゃろうか?」
「うちは幸せになったらいけんような気がして」
「嬉しい?十三年も経ったけど、原爆を落とした人は私を見て『やった!また一人殺せた!』ってちゃんと思うてくれとる?」

「・・・・・・母さんが三十八で死んだのが、原爆のせいかどうか誰も教えてはくれなかったよ。おばあちゃんが八十で死んだ時は原爆のせいでなんて言う人はもういなかったよ。なのに凪生もわたしもいつ原爆のせいで死んでもおかしくない人間とか決めつけられたりしてんだろうか」
「そして確かにこのふたりを選んで生まれてこようと決めたのだ」

「今年は父さんのいちばんあとまで生きてた姉ちゃんの五十回忌でな。それで姉ちゃんの知り合いに会って昔話を聞かせて貰ってたんだよ。七波はその姉ちゃんに似ている気がするよ。お前がしあわせになんなきゃ姉ちゃんが泣くよ」

この映画を観に行く予定がたってから、これまでもちょくちょく読み返していた原作をまた何度か読み返しなおした。そして映画を観た。
一つ一つの言葉に込められた想いが、時代的背景が、根深い傷跡が、原作を読んだときにもなんとなく感じられていたことが、やっと身が切り裂かれるほどリアルな情感を伴って襲ってきた。とことん鈍いな。

名演小劇場という定員が100人にも満たなそうな、立派なホームシアターに負けそうな大きさのスクリーンの劇場で観たのだけど、やはり周りには40代以上の方々が目立った。
この映画を若い人がどのように感じるか、というところに興味があったので、シネコンのスクリーンで観ればよかったかな、と観賞直前には思ったけれど、そうでもなかった。

鑑賞中、本当に何気ない昭和33年の生活を描いたシーンで、どちらかというとコミカルですらある現代の七波の父親のしぐさ一つにも、場内のすすり泣きは上映中ほぼ止まなかった。
戦後を生きる人々の心にずっしりと残る罪悪感にも似た重く暗い感情、60年以上の月日が流れても強く熱い廃れない想いと願い、その世代の誰もが生々しくあるのだ。ずーっとそこにあったし、片時も忘れられなかったんだ、いやでも。
その時代を思い出すだけで、深い傷を背負いながら笑顔とささやかな未来への希望を持って生きる皆実のしぐさ一つを観るだけで、これだけ感情があふれ出してしまうということ。
そんなことが手に取るように分かった。

この作品は目も耳も塞がない。心も閉ざさない。
どれだけ無関心を装っていたアホ(僕)に対しても、優しく分かりやすくとてもリアルな実感を持って、そのメッセージを伝えてくれる。

そんなこの作品に、感謝したい。

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このお話はまだ終わりません。

何度夕凪が終わっても
終わっていません。

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by kngordinaries | 2007-08-18 21:09 | 映画、ドラマ


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